投稿者 ケーナ 日時 2002 年 8 月 31 日 14:00:47: [DG-001373]
ゲームと小説とゲーム小説
先日 ずっと欲しかった五代ゆうの「ヴァルキリー
プロファイル(上)」を手に入れました この作品は設定及び
ストーリーは非常に優れているものの ゲーム中で語られる
部分があまりに薄く 非常に残念な作品であったため
補完の意味で小説に手をだした次第なのですが
別の人が書いているエニックスから出版されているぶんは
本当にストーリーをなぞっているだけで満足できませんでした そこで五代ゆうの上巻しかでていない
下巻の出る予定もない「ヴァルキリープロファイル(上)」に
手をだしたのですが もう一つのほうよりも出来が良いです
物語に肉付けが為されているという印象です
同じ作品の小説化なのに不思議なものです
そこで 今回はゲーム小説についてちょっと考えてみようと
思った次第なのですが
だいぶ前にブックオフの美少女ゲームのノベルスコーナーで
「加奈〜いもうと〜」「星空ぷらねっと」「銀色」
「みずいろ」「奴隷市場」「Treating2U」
をなんとなく買ってしまいました
前半の3作品はゲームをした事があり
後半はした事がなかったのですが
(プレイするほどまで興味を持てなかったため)
「みずいろ」は結構面白くゲームをプレイしてみようという
気にさせられましたが「奴隷市場」は訳ワカメで
「Treating2U」はゲームをしてみようとまでは
思いませんでした ということでプレイしていないゲームの
雰囲気を掴む事は出来そうな感じです プレイした事のある
ゲームのほうはというと一冊の中にゲームのシナリオを全て
ぶち込むのは無理なようです
美少女ゲームにはだいたい6人くらいのヒロインがいますが
そのうち一人の話を多少はしょってようやくおさまるくらい
なようです 同じシリーズで「Kanon」のノベライズは
一冊一人で何冊か出ていることからもそれはわかります
僕がプレイした中で一番シナリオが長そうな作品
というとPSの「久遠の絆」ですが
これを完全に小説化しようとすると
5冊組くらいになりそうです
ビジュアルノベルのたぐいならシナリオを完全に
小説化する事は簡単です
しかし ゲームには音楽があり グラフィックがあり
声があり(ないゲームもありますが) 選択肢があり
一行ずつ表示されるという一定のリズムがあります
このゲームのスタイルは小説やコミック
アニメや映画などとと並ぶひとつのジャンルになり得ると
思います独特の臨場感が生まれる気がするのです
僕の持論は「ゲームは小説には叶わない」ですが
そのもっとも大きな理由はゲームは多くの人間が
携わらなければ完成しないが 小説は紙と鉛筆があれば
誰でも書けるからという事が上げられます
多くの人間が関わる以上ある程度の収益を上げる事が求められ
どうしても不特定多数に受け入れられやすいように
作らなければならないし
簡単に出来るものでもありません
つまり底辺の広さが圧倒的に違うのです
そんな僕にとって「月姫」の出現は非常に驚きでした
あの作品を支えているのは実質的には一人
「奈須きのこ」というシナリオライターです
市販レベルにはとうてい達していないグラフィックを
背負いながら(空の境界のドラマCDのジャケットを
始めてみた時は別人が書いたのだろうと
思ったくらい上手くなっていましたが)
あれだけの人気を博したのは
シナリオの力が圧倒的であったからに他なりません
シナリオさえよければゲームは成立するのです
ファイナルファンタジーのように何百人も必要ないのです
以上はほとんどビジュアルノベル系のゲームに
関する話でしたがRPGゲームの小説化というと
僕が読んだ事のある作品といえば
上記のヴァルキリープロファイルの他には
久美沙織の「ドラゴンクエスト」
のシリーズを4ぐらいまでと
ベニー松山のウィザードリィおよび
それに付随する形でウィザードリィ関係の小説をいくつか
というところです
こういうのの出来不出来は小説家の腕によるところが
9割以上を占めていると思うのですが
ベニー松山のウィザードリィ関係の小説は
氏の実力以上の出来になっている気がします
現在執筆中の「司星者セイン」
は氏の完全オリジナル作品ですが
それよりもウィザードリィ関係の
小説のほうが圧倒的に良い作品です
ウィザードリィに惚れ込み
人生の一部を捧げた氏だからこそ
ウィザードリィを書く時は
何かが乗り移ったかのように
実力以上のものが出てくるような気がします
結局 小説とコミックの出来を比べる事が出来ないのと
同じように ゲームと小説を比べる事もまた
出来ないのでしょう
こういうのを何というのでしょうか?
「愛は国境を越える?」
ちょっとちがいますね